- 2024年8月28日
グラップラー刃牙について
渋谷神泉こころのクリニックです。
精神科での対応が求められる問題の一つに、心的外傷に起因する生きづらさが挙げられます。精神科医になってから気が付きましたが、板垣恵介氏の代表作である「グラップラー刃牙」の幼年編では、こうした逆境的な環境への適応を迫られた主人公の葛藤がよく描かれています。
物語の軸になるのは、「地上最強の生物」こと範馬勇次郎です。彼は、兵士や格闘家など、戦闘能力の高い人間を殺傷することに強い快楽を覚える人物です。こうした嗜癖が高じ、ついに彼は「自身の子を最強の格闘家に育て上げてから屠る」という計画を思いつきます。そして、その育成を十分に遂行できる資金力があると踏み、ある財閥の御曹司の妻となった朱沢江珠に、自身の子を産ませます。なお、その際に夫である朱沢鋭一は江珠の眼前で殺害されます。
勇次郎と江珠との子が主人公である刃牙ですが、その幼少期はかなり過酷です。勇次郎は世界中を飛び回っており、痛みや恐怖を伴う格闘教育しか接点がありません。江珠も心的外傷の影響もあり、刃牙に対して無条件の承認を示すことができず、いかに勇次郎に満足してもらえるように刃牙を育てるかに腐心し、態度にも性的なところが多分に含まれます。
このような環境で生育し、父母双方からの期待に応えようとする刃牙と、心的外傷体験への過剰適応によって自身を保ってきた江珠の心情は、特に「グラップラー刃牙」20巻(板垣恵介著、少年チャンピオン・コミックス)の終盤で非常によく表現されています。
最近は、教育虐待などの言葉もよく耳にするようになりました。刃牙への格闘技教育の強要を、たとえば受験教育に置き換えると、このような構図は世に多くみられるのではないでしょうか。
優れたテキストは複数の読み方が可能です。精神科的な視点からみても多くの気づきが得られる「グラップラー刃牙」は、紛れもない名作であると言えるでしょう。精神科診療にかかわる人間は必読かと思います。
それでは、また!