• 2024年8月3日

パリ五輪に関する雑感③

 渋谷神泉こころのクリニックです。

 2024年8月3日(土)の産経新聞に、「素根 試練の3年」というタイトルで、柔道女子 78 kg 超級の素根輝選手に関する記事が掲載されています。

 素根選手は、東京五輪では金メダルに輝いたものの、今回のパリ五輪では膝の負傷により敗者復活戦を棄権されました。東京五輪の翌日に、後輩との練習で膝を負傷したようですが、その際にもとっさに「誰のせいとかじゃないから。」と後輩を気遣う発言をしたり、膝の手術に際しても「手術前よりいい状況になる。プラスだよね。」と語るなど、周囲への配慮を欠かさない性格です。私などは、東京五輪の時点で、素根選手の人格者ぶりに圧倒されました。

 そんな素根選手が記事になる際には、かなりの頻度で、故木村政彦氏の「三倍努力」を座右の銘にしていることが紹介されます。

 木村政彦氏は、当時はまだ普及していなかった筋力トレーニングをいち早く取り入れ、高専柔道の寝技を身につけながら、独自の技術を創造することで「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と讃えられた不世出の柔道家です。その練習量は一日10時間を超え、著書「わが柔道」は、多くの柔道家に影響を与えてきました。もともと同氏の練習量は一日6時間程度、一般的な選手の二倍でしたが、実績を上げるにつれ、「相手も二倍の努力をするかもしれない。」と考え、練習量を三倍に増やしたそうです。これが有名な「三倍努力」ですが、2008年に開催された北京五輪男子100 kg 超級の金メダリストである石井慧氏も、当時はこの言葉を座右の銘にしており、一部の関係者からは「木村政彦の魂を継ぐ者」とまで称されていました。

 「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(増田俊也著、新潮社、2011年)でも注目が高まる時期があるなど、木村政彦氏の言葉は現在でもたびたびリバイブしていますね!

 「わが柔道」にあるさまざまな創意工夫と徹底的な努力に関する記述は、現在でも通用する内容であり、いわゆる「ゾーンに入った状態」の描写も面白いと思います。

 御興味をおもちの方は是非御一読ください(院内の書棚にも置いてあります。)。

 それでは、また!

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