- 2026年1月3日
- 2025年12月25日
21.五百らかん寺さざゐどう
渋谷神泉こころのクリニックです。
院内に月替わりで展示している浮世絵について、院内にもバックナンバーを含めた解説を置いております。とはいえ、あらかじめ解説を読んだうえで、来院時にじっくりと鑑賞したいとの御意見も頂戴しましたので、展示作品については、当ブログにも解説を掲載しております。
令和8年1月は、「五百らかん寺さざゐどう」です。

画題の五百羅漢寺とは、亀戸村、現在の東京都江東区大島三丁目にあった禅宗の一つである黄檗宗の寺院で、現在は下目黒に移転しています。本図は、この境内に寛保元年(1741年)に建立された三匝堂(さんそうどう)からの眺望が描かれています。
「三匝」とは仏教の礼拝作法で、仏や聖なるものを右肩を向けて時計回りに3周回る「右繞三匝(うにょうさんそう)」を指し、最高の敬意を表す意味があります。この三匝堂は、堂内が螺旋状の回廊となっており、配置された三十三観音や百観音などを、一方向に進むだけで巡礼できる構造になっています。一堂を一巡するだけで、西国三十三番、坂東三十三番、秩父三十四番の百寺を参詣したことになるという発想が人気を博し、江戸時代後期には、東北から関東地方にかけてこの建築様式が流行していたようです。各地の三匝堂も、その構造や外観が栄螺(さざえ)の貝殻のようであったことから、「さざい堂」と呼ばれることが多いようです。
本図に描かれた五百羅漢寺の三匝堂は、コの字型の回廊を右に廻り、階段で上階に登った後、別の階段から降りる構造になっていたと考えられています。おそらく、下図のような構造であったと思います。

一方、福島県会津若松市、白虎隊の墓所がある飯盛山の中腹にある「会津さざえ堂」(正式名称は「円通三匝堂」)は、世界に唯一の二重螺旋構造の木造建築であり、内部はスロープで連続しています。入口から時計回りに上っていき、最上階の太鼓橋を渡ると、反時計回りの下りになり、入口とは反対側の出口に至ります。

この会津さざえ堂は、十年ほど前に行ったことがあります。古い木造建築ですので、歩く際の軋む音から、床が割れたり抜けたりするのではないかと心配になりましたが、その建築技術には感嘆しました。
さて、本図、五百羅漢寺の三匝堂は、その立地から富士を眺望できる高楼としても人気がありました。画中でも、芸妓・子供・武士など、様々な階級の人物が描き分けられ、当時の賑わいが表現されています。床や壁の板目、屋根の梁の線などは、すべて富士を指しており、集中線として作用しています。
ただし、屋根の軒の描写は、完全に北斎の創作です。本来、最上階の軒は、見物客のいる回廊を覆うように伸びていたはずで、歌川広重による以下のような描写がより正確でしょう。

本図では、軒がかなり短く、回廊は屋根の外に大きくはみ出しています。おそらく、北斎は極端に短くした軒の延長線上に富士を配置したかったのでしょう。軒の先端の風鐸も、富士に視線を誘導する目的があると思われます。同時に空の面積も大きくとれるため、開放感も演出されます。さらに、過剰に広げられた回廊(濡れ縁)には、実際よりも大勢の人々を横一列に並べられ、ここでも富士への視線誘導が強化されています。

透視図法を存分に応用する北斎の技巧が発揮された作品と言えますね。よく見ると、軒天(軒裏)には鳥の巣もあり、遊び心が感じられます。
お楽しみいただければ幸いです。
それでは、また!
