- 2025年12月1日
- 2025年11月25日
20.甲州伊沢暁
渋谷神泉こころのクリニックです。
院内に月替わりで展示している浮世絵について、院内にもバックナンバーを含めた解説を置いております。とはいえ、あらかじめ解説を読んだうえで、来院時にじっくりと鑑賞したいとの御意見も頂戴しましたので、展示作品については、当ブログにも解説を掲載しております。
令和7年12月は、「甲州伊沢暁」です。

本図は五街道の一つ、甲州街道の石和宿の早朝を描いた作品で、現在の甲州街道の石和(いさわ)からの風景です。
旅人たちは皆、画面右方向、つまり甲府盆地から西に向かっています。この方向には甲府城があり、その先は、信州諏訪方面と、身延山参詣の道に分かれます。

近景の宿場、中景の笛吹川、遠景の富士と、きれいに三分割された構図であり、下三分の一を斜めに二等分する線が、宿場の街道筋に一致しています。いつもながら、計算しつくされた、安定感のある美しい構図です。
実際には、甲府盆地の東部からからは御坂山地に遮られ、富士は見えません。また、石和宿のかなり北にある大蔵経寺山に登っても、頂上が少し見える程度です。

ところで、先日(令和7年11月22日~24日)、東京大学の駒場祭に行ってみたところ、東京大学地文研究会地理部による20万分の1の縮尺による立体日本地図が展示されていました。これは約8年かけて完成したもので、部員の方々は毎週1日を作業に当てているとのことでした。せっかくでしたので、私も記念に甲府盆地から富士を望む方向に一枚撮影してきました。富士が御坂山地に遮られている様子など、周辺の立体的な位置関係がわかりやすいと思います。

このように、現実には甲府盆地から本図のような富士の稜線を望むことはできないはずですが、北斎は建物や人物を正確無比に描き出すことで、想像による富士の全容を違和感なく溶け込ませています。そもそも、作品名である「甲州伊沢暁」についても、本来は「伊沢」ではなく、「石和」と表記されます。もしかしたら、実景とは異なる絵だという意味で、意図的に変えているのかもしれません。こうした遊び心も、画狂・葛飾北斎ならではの妙技なのでしょう。
とはいえ、北斎が最も描きたかったのは、作品名にもあるように、夜明け近くの「暁」の様子そのものなのかもしれません。冠雪した富士の頂上付近は、うっすらと明るくなり始めた空とともに、薄い桜色に染まっています。また、石和宿の背後に流れる笛吹川の川面も、南側(画面奥)の方は陽光の反射のためか、藍色は摺られていません。
一方、画面の下半分、宿場町はまだ暗く、往来をにぎわせる旅人たちの服装も深い藍色で統一されています。
このように、富士と宿場との色彩を対比しながら、笛吹川の川面を移行帯として活用することで、早朝の空気や明るさの移ろいが見事に表現されています。
航空機イラストレーターの小池繁夫氏も、何かのインタビューで、「本当に表現したいものは、飛行機だけではなく、それを包む大気や気配である」といったことを述べていました。小池氏の作品はどれも精緻で、湿度や温度も伝わってきそうなものばかりですが、朝焼けや夕暮れと思われる瞬間を描いたものは特に秀逸です。個人的に好きなのは、ハセガワ社のプラモデルの箱絵にある次の二作品です(紫電改と震電です。)。北斎の本図に共通するものが感じられますね。

お楽しみいただければ幸いです。
それでは、また!
