- 2024年9月6日
- 2024年9月7日
4.尾州不二見原
渋谷神泉こころのクリニックです。
院内に月替わりで展示している浮世絵について、解説は院内の掲示板の棚に置いておりますが、ブログでの記載の方が鑑賞に集中できるとの御意見をいただきました。そのため、これまでに展示した作品から順に、当ブログでも解説させていただくことにいたしました。
今回は「尾州不二見原」(びしゅうふじみがばら)、令和6年8月に展示した作品です。
本作は、現在の愛知県名古屋市郊外、富士見原を描いたもので、同地は遊郭や武家の別宅が存在する名勝地として知られていました。揃中で最も西方、そして最も遠方から富士を描いたとされる本作ですが、実際には愛知県のこの地から富士は見えません。そのため、桶の遠方に見える三角形の山は富士ではなく、南アルプスの聖岳か上河内岳であると考えられています。
それはともかく、「桶屋の富士」として親しまれている本作は、なによりも奇抜な構図によって世界的に有名です。画面中央の桶は、これだけの大きさですので、醤油や味噌の仕込み桶なのでしょうか。桶が転がらないように置かれた道具箱や木槌、桶職人の槍鉋など、桶屋の姿態描写も生き生きと力がこもって切実です。人物画としても北斎の典型的な傑作です。
樽の輪の中には、遠方に小さく見える富士が配されており、北斎ならではの幾何学的構図です。この大きな円と小さな三角形との対比は、水平に広がる青、赤、濃淡それぞれの緑と、画面左で垂直に伸びた松とによって遠近感が強調され、まさに「構図の北斎」の面目躍如です。
円の中に富士を置く構図そのものは、河村岷雪の『百富士』巻一「窓中」に着想を得たと考えられています。
ただし、「窓中」では堂々と目立つように描かれた富士が、本図では巨大な桶の向こうに小さく隠れています。もしもタイトルを知らされていなければ、桶だけに注意が向き、富士の存在を見落としてしまいそうです。北斎は、鑑賞者が作中に視線を遊ばせながら、富士を発見させることを狙ったのかもしれません。
本作は、写生的な風景画を好んだ歌川広重にも衝撃を与えました。広重自らが「葛飾翁之図にならいて」と記した上で、細部までそっくりな団扇絵(団扇に貼り付けるための版画)を作成しているのです(習作と呼ぶにはあまりにもレベルの高い作品ですが……!)。この団扇絵を北斎のものと比べると、北斎の方が構図に幾何学性を重視している印象を受けますね。
なお、葛飾北斎(1760~1849)と歌川広重(1797~1858)の年齢差は37歳です。新たな表現をすぐに取り込もうとする広重の柔軟な姿勢もまた、只者ではありません。
お楽しみいただければ幸いです。
それでは、また!