- 2025年2月1日
10.甲州三島越
渋谷神泉こころのクリニックです。
院内に月替わりで展示している浮世絵について、院内にもバックナンバーを含めた解説を置いております。とはいえ、あらかじめ解説を読んだうえで、来院時にじっくりと鑑賞したいとの御意見も頂戴しましたので、展示作品については、当ブログにも解説を掲載しております。
令和7年2月は、「甲州三島越」です。
三島越とは、甲府盆地から富士山麓を経て駿河国・相模国へと続く鎌倉往還(古代東海道)の一つです。いわゆる「いざ鎌倉」の道で、三島越は、河口湖→山中湖→籠坂峠(山梨・静岡県境)→御殿場→三島を辿る経路を指すようです。
本図は、鎌倉往還の甲駿国境にある籠坂峠(現在の山梨県山中湖村と静岡県小山町の境界にある峠)から富士を望んだ作品です。画面中央の巨木は3人の大人が手をつないでも一周しきれないほどの太さ、その後方には富士が悠然と稜線を広げています。また、空に沸き立つ積雲は、富士の山頂では笠雲となっています。こうした雄大な自然が藍、緑、墨の僅か三色で、雲の質感も和紙の肌そのもので表現されているところに、北斎の研ぎ澄まされた色彩感覚がうかがわれます。構図としても、自然の大きさと人間の小ささの対比が見事です。
ところで、北斎が画面中央に巨木を配した理由は、「宝永火口」を隠すためという説があります。宝永火口は、江戸時代中期の1707年(宝永4年)に起きた宝永大噴火で生じたものですが、これによって富士山の東南斜面の稜線に不整な凹凸が形成されました。北斎は巨木でこの宝永火口を隠すことで、稜線の連続性を損なわないようにしたとも考えられています。
この宝永大噴火では、噴火そのものや火山灰などの影響で、籠坂峠を含む富士山東麓の森林や草地はかなりの部分が荒廃してしまいました。そのため、本図のような巨木が無事であった可能性は低く、実際にもこのような巨木は確認されていないようです。本図の巨木は、甲州街道笹子峠にある「矢立の杉」を流用したものであると考えられており、これは、「北斎漫画」や、二代歌川広重による「諸国名所百景」でも描かれています。こうした想像をあたかも現実であるかのように表現できるのは、写真に対する絵画の強みですね。
お楽しみいただければ幸いです。
それでは、また!