- 2025年8月1日
16.隅田川関屋の里
渋谷神泉こころのクリニックです。
院内に月替わりで展示している浮世絵について、院内にもバックナンバーを含めた解説を置いております。とはいえ、あらかじめ解説を読んだうえで、来院時にじっくりと鑑賞したいとの御意見も頂戴しましたので、展示作品については、当ブログにも解説を掲載しております。
令和7年8月は、「隅田川関屋の里」です。

本図は、江戸時代には風光明媚な土地として知られた関屋の里の風景です。関谷の里とは、寺島村から千住河原までの隅田川に面した一帯の通称で、現在の千住仲町から千住関屋町付近、京成線関屋駅周辺からなる足立区と墨田区の境界のあたりに相当します。
いつもながら、足立区立郷土博物館の解説を大いに参考にして、地図や解説などを作成しております。それなので、同記事も是非ご覧いただければと思います。

この一帯は、江戸時代には、帆掛け船が隅田川を行き来し、春には桜が咲き誇っていたようです。そのため、同地は歌川広重によっても、「江戸名所百景」、「隅田川八景」、「江戸名勝図会」などで頻繁に描かれています。

とはいえ、当時、この周辺は人家がまばらな土地でもあったようです。本図でも、閑散とした風景の中、遠方まで伸びる道を疾走する人馬と、右端に見える高札場の他には、特別なものは描かれていません。この高札場ですら、現在の千住一丁目と千住仲町との千住小橋南側(現在の千住仲町側)にあったものを画中で融合させたものと言われています。
この道は、石出吉胤掃部亮(いしでよしたねかもんのすけ)によって元和2(1616)年に築かれた掃部堤(かもんづつみ)と言われています。
この掃部堤を馬で疾走する三名の武士は、菅笠と脚絆の旅装束です。近くの日光街道を抜けて遠国に急を告げるための使者なのかもしれません。この三名の人馬の姿勢はほぼ同一ですが、手前二名を横に走らせ、奥の一名を小さく反転して配することで、スピード感と奥行きが演出されています。
なお、馬が疾走する場合、厳密には後脚が両方とも(左右交互ではなく)同時に動きます。「北斎漫画」での描写から推察するに、北斎は馬の動きを熟知した上で、あえて鑑賞者に伝わりやすい表現を選択したのだと思います。

この躍動感のある近景に対して、遠景には夕陽に赤く染まる富士が静謐かつ雄大に配置されています。人物や風景の描写、疾風感の表現、色彩の配置、構図など、北斎の醍醐味を満載した作品だと言えます。
お楽しみいただければ幸いです。
それでは、また!