• 2026年9月1日
  • 2026年8月17日

29.下目黒

 渋谷神泉こころのクリニックです。

 院内に月替わりで展示している浮世絵について、院内にもバックナンバーを含めた解説を置いております。とはいえ、あらかじめ解説をお読みいただいたうえで、来院時にじっくりと鑑賞したいとのご意見も頂戴しましたので、展示作品については、当ブログにも解説を掲載しております。

 令和8年9月は、「下目黒」です。

 本図は、現在の東京都目黒区下目黒にあたる場所を描いたものです。

 江戸の南西郊外に位置する目黒周辺は、起伏に富んだ丘陵地が広がる田園地帯で、幕府の御鷹場、すなわち将軍や大名が鷹狩りを行う場所でもありました。本図でも、画面右側の坂道を、手に鷹を乗せた二人の鷹匠が歩いています。その姿からは、当時の目黒が農村であると同時に、江戸の武家にとっての遊猟の場でもあったことがうかがえます。下目黒から少し西に進んだ、現在の学芸大学駅周辺には、鷹番という地名も残っています。

 画面の奥には、丘陵に挟まれた田舎道が伸び、その先に富士が小さく姿をのぞかせています。左右の丘陵が富士を包み込むように配置され、画面中央には小さな富士、その上には大きく空が広がっています。富士を主役として大きく描くのではなく、広々とした田園風景の一部として取り込んでいるところが印象的です。

 手前には、鍬を担いだ農夫や、赤子を背負った母親、鷹匠に膝まずく農民の姿などが描かれています。左下には藁葺きの農家があり、その脇には積み藁も見えます。稲刈りを終えた農村の秋の一日、その何気ない暮らしの一場面です。

 田舎家や段畑、丘陵、農道など、多くの要素が画面に組み込まれていますが、左右の丘陵に挟まれた道に鷹匠や農夫を配置し、手前には農家の屋根を大きく描いています。そしてその向こうに富士を小さく置く構成によって、何の変哲もない農村風景に奥行きと動きが生まれています。

 また、富士を左右の丘陵で挟むという構図は、左右の大きな形の間に中央の対象を小さく配置するという点で、「神奈川沖浪裏」とも共通しています。北斎らしい巧みな構成と言えるでしょう。

 ところで、下目黒は、当時から特に富士の眺望で知られた名所だったわけではなく、西方への眺望も限られていたと考えられます。これに対して、下目黒から東に登る行人坂は、富士を望む場所として知られていました。坂の上には、その名も「富士見茶亭」という茶店があったそうです。

 行人坂は、現在の目黒駅周辺の高台から目黒川に向かって下っていく急坂で、坂を下った先には太鼓橋が架かっています。坂の上は現在の目黒駅周辺にあたり、駅の近くには現在も高台が残っています。斎藤月岑の「富士見茶亭」や歌川広重の「目黒行人阪之図」には、この急な坂の始まりの様子が描かれていますが、坂の先にある目黒川までは画面に描かれていません。高層ビルなどがなかった往時には、この高台から西方への眺望が大きく開けていたことが、両作品からもうかがえます。現在の地形と合わせて考えると、坂を下って目黒川を渡り、さらにその西側へ進んだところが、北斎の描いた下目黒の田園地帯ということになります。

 このように、北斎は富士を望むには格好の場所がすぐ近くにあったにもかかわらず、行人坂を下って目黒川を渡った先の農村地帯を選んでいます。この選定もまた、定番の名所にとらわれない北斎らしさの表れと言えるでしょう。

 それにしても、現在の目黒を知る私たちからすると、当時のこの辺りが田園と丘陵の広がる農村だったこと自体、意外に感じられます。有名な名所ではないからこそ、かえって当時の目黒の空気が感じられる作品です。

 お楽しみいただければ幸いです。

 それでは、また!

渋谷神泉こころのクリニック
精神科・心療内科
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