• 2024年10月1日

6.上總ノ海路

 渋谷神泉こころのクリニックです。

 院内に月替わりで展示している浮世絵について、院内にもバックナンバーを含めた解説を置いております。とはいえ、あらかじめ解説を読んだうえで、来院時にじっくりと鑑賞したいとの御意見も頂戴しましたので、展示作品については、当ブログにも解説を掲載しております。

 令和6年10月は、「上總ノ海路」(上総の海路)です。

 東京湾(江戸湾)は、明治時代以降に首都圏の道路・鉄道網の整備とともに陸路が発展するまで、鎌倉や江戸と房総(;安房、上総、下総からなる、おおむね現在の千葉県に相当する地域)の各地をむすぶ交通の大動脈でした。南北朝・室町時代には、すでに現在の千葉県富津市と神奈川県横浜市六浦との間で盛んに船の往来があり、房総の産物が多数、六浦の港を経て鎌倉へと運ばれていたそうです。

 江戸時代、江戸湾交通の花形であったのが、千葉県木更津市木更津(上総)や千葉県館山市那古等(安房)を起点として活躍した五大力船(ごだいりきせん)と押送船(おしょくりぶね)です。

 五大力船は、房総で作られた薪炭や米とともに、房総と江戸を往来する人々を運ぶ貨客船でした。そのため、江戸市中の川筋や上総の遠浅の海を航行できるような、狭い横幅と浅い吃水が特徴です。ちなみに、五大力船の名は「五大力菩薩」という仏の名に由来するとされています。

 一方、有名な「神奈川沖浪裏」で描かれた押送船は、鮮魚を専用に日本橋の魚河岸まで運ぶ快速船でした。そのため、細長い船体と鋭くとがった船首が特徴です。

 さて、本図では、この五大力船が二艘重なって描かれています。同型の船を大小同じ向きで重ねる手法は、自己相似やフラクタルなどと呼ばれるデザイン技法です。北斎は二艘の五大力船を横に並べるのではなく、奥に重ねることで遠近感を演出し、また、船の動きを暗示させています。

 遠景には湾曲した三浦方面の陸地と、小さく富士が描かれているだけですが、それがかえって茫々とした海上の雰囲気を伝えています。この富士の配置はさり気ないながらも、ここからはどこにも動かせないというほど絶妙です。左右不均衡に描かれた水平線のカーブは、本図が「地球は丸い」という知見よりも、実際にこの広大な風景を目にした印象を反映させたものなのでしょう。

 同じく上総の五大力船を主題としたものとして、歌川広重にも複数の作品があります。本図を歌川広重のものと比較すると、船の角度や配置、海上での位置、富士の大きさ、水平線など、両者の意匠の違いをより明確に感じられると思います。

 お楽しみいただければ幸いです。

 それでは、また!

渋谷神泉こころのクリニック
精神科・心療内科
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