- 2025年1月3日
9.登戸浦
渋谷神泉こころのクリニックです。
院内に月替わりで展示している浮世絵について、院内にもバックナンバーを含めた解説を置いております。とはいえ、あらかじめ解説を読んだうえで、来院時にじっくりと鑑賞したいとの御意見も頂戴しましたので、展示作品については、当ブログにも解説を掲載しております。
令和7年1月は、「登戸浦」です。
登戸は、現在の千葉県千葉市中央区の沿岸部にある地域です。「のぶと」や「のぼと」と読まれ、本図は「のぼとうら」と読まれています。現在、登戸周辺は埋め立てられ、工業地帯となっていますが、当時は築地にも荷揚場をもっていた江戸湾の湊であり、年貢米や海産物を房総半島から江戸に海上輸送する拠点の一つでした。また、このあたりの海は遠浅で、潮干狩りの好適地としても知られていました。
本図では、浅瀬に立った神社の鳥居を中心に、往時の情景が展開されています。この鳥居は、登戸神社(登渡神社)とされ、同社のHPでも本図が引用されています。しかし、海中に鳥居をもうけたという記録の有無から、近隣の稲毛浅間神社の鳥居とする説もあるようです。鳥居の周囲には、汐干狩をする庶民、無邪気にはしゃぐ子供、網を担ぐ漁師などが描かれ、遠方には漁をする二艘の舟もみえます。右下から続く陸は大きく湾曲しながら、左端が最も小さく遠方となっており、ここが湾内であることが読み取れます。
構図としては、後方の鳥居が前方のものよりも小さく描かれ、同様にその周囲の子供も、手前の大人と比べても小さめに描かれており、遠近感を強調しようという意図が窺えます。また、干潟から富士への風景が水平視に近いのに対し、鳥居は斜め上から俯瞰で捉えられており、二つの異なる視点の混在が、大きな鳥居の存在感を強調しています。富士はこの鳥居がつくる平行四辺形の中に小さく配されており、本図もまた北斎得意の幾何学的構図であるといえるでしょう。
なお、北斎は潮干狩りという画題を好んでいたようで、「汐干狩」、「下総登戸」の他、「潮干狩図」という肉筆画も残されています。本図とこれらの作品を見比べると、北斎といえども、ある作品や構図を結実させるまでには膨大な試行錯誤があることが推察され、現状を打破しようとお悩みの方々にも励みになるのではないでしょうか。
お楽しみいただければ幸いです。
それでは、また!