• 2025年3月1日

11.武州千住

 渋谷神泉こころのクリニックです。

 院内に月替わりで展示している浮世絵について、院内にもバックナンバーを含めた解説を置いております。とはいえ、あらかじめ解説を読んだうえで、来院時にじっくりと鑑賞したいとの御意見も頂戴しましたので、展示作品については、当ブログにも解説を掲載しております。

 令和7年3月は、「武州千住」です。

 武州とは武蔵国の別称であり、現在の東京都、埼玉県、神奈川県の一部(川崎市及び横浜市)に相当する地域です。千住は現在の足立区に相当し、奥州道中及び日光道中の初宿である千住宿が置かれていました。

 江戸時代、五街道の各々について、江戸・日本橋に最も近い宿場町は江戸四宿(えどししゅく)と総称され、千住宿(奥州道中、日光道中)の他には、板橋宿(中山道)、内藤新宿(甲州道中)、品川宿(東海道)がありました。

 とはいえ、本図で描かれているのは、この千住宿の宿場町としての賑わいではなく、千住宿の近隣にある元宿での、馬を曳く農夫と釣りに興じる二人による牧歌的な風景です。

 斜め後ろから見た農夫の片足を踏み出したポーズは、揃中の「東海道保土ヶ谷」でも描かれた、北斎得意のポーズです。馬の背につけられている運搬具は、「駄付モッコ」、「スカリ」などとよばれる道具で、土や堆肥などの運搬の他、大宮台地では畑のドロツケに使われました。この画で運ばれているものは、野菜ではなく、馬の飼料としての草でしょうか。手綱には替えのわらじが結び付けられています。

 画面左端にほんの少し見えるのは、稲藁を積んだ「藁ぼっち」です。これは晩秋に作られ、冬から春にかけて使用する藁をまとめたものです。藁がまだ十分に残っていることと、富士が白く冠雪していることからは、本図の季節は冬のように見えます。しかし、緑色の草や、腕を出した農夫などの全体的な様子からは、初夏のようでもあります。元々、北斎は季節と雪の多寡について厳密ではない傾向があるため、これは絵画的な面白さを詰め込んだだけなのかもしれません。

 画面の右側に大きく描かれているのは元宿圦(もとじゅくいり)に設けられた、元宿堰とよばれる堰枠(せきわく)で、隅田川から用水路への逆流を防ぐ役割を果たしていました。したがって、本図は元塾圦から隅田川を望んだ風景ということになるでしょう。現在の帝京科学大学入口交差点付近に相当し、実際に同地に記念碑もあります。下図の青線で囲まれた範囲が本図の風景で、馬と納付は矢印方向に進んでいるものと思われます(下左図は明治時代の迅速側図、下右図は現在の地図です。)。

 ちなみに、堰とは河川を横断する構造物、圦とは堰を貫く管(通路)という意味です。

 お楽しみいただければ幸いです。

 それでは、また!

渋谷神泉こころのクリニック
精神科・心療内科
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