- 2025年6月2日
- 2025年5月26日
14.駿州江尻
渋谷神泉こころのクリニックです。
院内に月替わりで展示している浮世絵について、院内にもバックナンバーを含めた解説を置いております。とはいえ、あらかじめ解説を読んだうえで、来院時にじっくりと鑑賞したいとの御意見も頂戴しましたので、展示作品については、当ブログにも解説を掲載しております。
令和7年6月は、「駿州江尻」です。

本図は、現代の静岡県静岡市清水区に位置する江尻からの風景です。江尻宿は駿河湾に注ぐ巴川下流の両岸にあり、江尻津や南方の清水湊とともに、東海道の交通の要衝でした。歌川広重も『東海道五拾三次』でその賑わいを描写しています。しかし、本図ではその面影は描かれず、一面に葦が添えられた閑散とした景色が広がるのみです。

この景色は、路傍の祠から江尻宿西の姥ヶ池近辺を望んだものという説もありますが、実際の姥ヶ池には鳥居が設置されている点や、北斎自身が全く別の地名を挙げて類似した風景画を描くことがたびたびあることなどから、創作された景色なのかもしれません。ちなみに、本図では道の先に広がる水面が姥ヶ池と考えられていますが、現在の姥ヶ池は下の写真のとおり、かなり縮小されています。

本図の主題は、強烈な突風という、それ自体は目に見えないものです。画中、上空に舞い上がる懐紙や菅笠、幹まで撓った木から舞い散る葉、笠を抑えて身を屈める旅人たち。北斎はこうした臨場感のある光景や姿態を描写することで、鑑賞者に突風の存在を実感させることに成功しています。緑と橙という補色の使い方も絶妙で、特に橙は対角線上にも配置され、作品にリズムを与えています。そして、それらとは対照的に悠然と聳える富士は、稜線一本で描かれており、突風に対する見事なまでの静と動の対比です。
「神奈川沖浪裏」が形状を常に変化させる「波」を表現しているのに対し、本図は形を伴わない「風」の表現に挑んだ作品のひとつとして、海外でも高く評価されています。カナダのアーティストであるジェフ・ウォールも強く影響を受けており、《 A Sudden Gust of Wind (after Hokusai) 》(1993年、邦題:『突風』)では、作品名からも構図からもそれが一目瞭然です。

北斎は、表現の構成単位を単純な円と直線に還元できると考えており、それは、『略画早指南』で詳述されています。ジェフ・ウォールも、このオマージュを通じて、北斎の作品が数学的・幾何学的な計算の上に成り立っていること改めて証明しようとしたといわれています。

なお、静岡県富士市が再開発を行っているJR富士駅北口の公益施設では、本図での舞い散る紙をモチーフとしたデザインが選定されました。完成予定は2028年度、待ち遠しいですね!

お楽しみいただければ幸いです。
それでは、また!