• 2026年2月2日
  • 2026年1月30日

22.従千住花街眺望之不二

 渋谷神泉こころのクリニックです。

 院内に月替わりで展示している浮世絵について、院内にもバックナンバーを含めた解説を置いております。とはいえ、あらかじめ解説を読んだうえで、来院時にじっくりと鑑賞したいとの御意見も頂戴しましたので、展示作品については、当ブログにも解説を掲載しております。

 令和8年2月は、「従千住花街眺望之不二」です。

 本図の読みは「千住花街より眺望の富士」、日光街道と奥州街道の最初の宿場町である千住宿にあった花街からの富士山の眺望という意味になります。現在の東京都足立区千住近辺、あるいは、言問橋と常磐線南千住駅の間あたりからの風景とされています。

 画題にある花街とは妓楼が集まった場所のことで、本図では水田の奥にある板塀で囲まれた区域になります。この一角を千住宿の私娼街とする解釈もありますが、これは本図のように街道から離れた場所で板塀に囲まれている区画ではなかったようです。そのため、本図にあるのは、千住宿から南に3 kmほど離れた吉原遊郭(新吉原)である可能性が高いとされています。新吉原越しに富士を望めるとなると、おそらく下図のあたり、旧日光街道上からの風景かと思われます。

 ちなみに、吉原遊郭とは、1617年に誕生した江戸幕府唯一の公娼街のことです。当初は、日本橋葺屋町(現在の日本橋人形町)にありましたが、明暦の大火(1657年)で焼失した際に、浅草寺北の日本堤付近に移転しました。そのため、日本橋の方は元吉原、浅草の方は新吉原と呼び分けられています。

 浮世絵では華やかに描かれることの多い遊郭ですが、これは大衆向けの宣伝の意味もあります。江戸時代、特に貧しい農村部では、口減らしのために子どもが遊郭に売られることも少なくありませんでした。実際の遊女たちは、結核、梅毒、乱暴な堕胎など、「苦界十年」と言われる悲惨で過酷な生活を送っていました。現代に生きるわれわれも、こうした歴史を認識しておく必要があると思います。

 「お~い!竜馬」(4)第4巻(小山ゆう・武田鉄矢著、小学館、1988年)にも、遊女の経済的事情を目の当たりにして、無力感に襲われる坂本龍馬の葛藤が描かれています。「本当の貧困の話をしよう 未来を変える方程式」(石井光太著、文藝春秋、2019年)では海外の児童買春の実情が紹介されており、「雲出づるところ」(土田世紀著、小学館、2019年)でもそのような場面が描かれています。こうした社会問題に対して、われわれの多くが無力感を覚えるかと思いますが、作家の佐藤優氏は(出典は失念しましたが)複数の著書で、「我々は『微力』であって『無力』ではない。微力な人たちが集まることで世界は変わっていく。究極的に重要なことの実現には、究極的でないことをつうじて、合理的、部分的に取り組んでいくしかない。」といったことを述べています。私も微力をつうじて、何らかの社会貢献ができればと思っております。

 さて、本図で街道を進むのは、国元へ帰ろうとする大名行列の一行です。近景中央の武士たちが肩に担いでいるのは鉄砲で、羅紗で作られた「猩々緋の附袋(しょうじょうひのつけぶくろ)」が被せられています。猩々緋とは、中国の伝承上の生き物「猩々」(;赤毛のオランウータンのような容姿のようです。)の赤い血に例えられた、鮮烈な黄色味の強い朱色のことで、本図でもこの特徴的な朱色により、画面にリズムとアクセントが生まれています。

 鉄砲を担いだ武士たちの後ろには、藁葺屋根越しに毛槍を持った隊列が続いています。毛槍は、長柄を鳥の羽、動物の毛などで飾った儀礼用の槍のことで、これも大名家の威信と格式を示すために、派手で華美な装いになっています。

 画面右端に「千客万来」とあるのは、水茶屋です。これは、神社仏閣の境内や街道筋で、旅人や参拝客に湯茶や団子を提供した簡易な休憩所で、現代のカフェに相当します。鈴木春信の錦絵で有名になった「笠森お仙」を嚆矢に、看板娘のいる店が繁盛したようです。

 茶屋の客に緊張の様子はなく、中景の畦道でも、休憩中の女性が脚を組みながらのんびりと大名行列を眺めています。時代劇と異なり、実際には大名行列の際に誰もが土下座をしていたわけではなさそうです。少なくとも、騎馬のまま行列内を逆行するなどのことがない限りは、武士たちもそれほど問題視しなかったのでしょう。

 花街の描写から社会問題について考えさせられる作品ですが、安定した構図の中で、悠然と佇む富士の存在が対照的です。

 お楽しみいただければ幸いです。

 それでは、また!

渋谷神泉こころのクリニック
精神科・心療内科
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