- 2026年6月1日
- 2026年5月28日
26.諸人登山
渋谷神泉こころのクリニックです。
院内に月替わりで展示している浮世絵について、院内にもバックナンバーを含めた解説を置いております。とはいえ、あらかじめ解説を読んだうえで、来院時にじっくりと鑑賞したいとの御意見も頂戴しましたので、展示作品については、当ブログにも解説を掲載しております。
令和8年6月は、「諸人登山」です。

本図は、『冨嶽三十六景』の中で唯一、富士山頂付近を舞台とした作品です。その意味でも、各地から富士を眺めた景観を描いてきた揃物の掉尾を飾る作品として構想された可能性が指摘されています。
富士山頂では、火口を「お鉢」、その周囲の峰々を「八葉(はちよう)」と称し、信者たちは祠を巡る「お鉢巡り」を行っていました。本図にも、山頂外輪山の一つである駒ヶ嶽付近の様子が描かれていると考えられています。画面中央左下には長い梯子が見えますが、江戸時代には実際にこの付近へ梯子が架けられており、その先には大日堂、石堂、石室などが存在したと伝えられています。さらに険しい「馬の背」を越えると、本邦最高地点である剣ヶ峰へ至ります。

ちなみに、万年筆メーカー・プラチナ万年筆の代表的シリーズ「#3776 CENTURY」の名称は、富士山の標高3776メートルに由来しています。日本最高峰への敬意を込めた名であり、現在でも多くの愛好家に親しまれています。作家の佐藤優氏も『愛国の罠』(ポプラ社、2025年10月)の中で、プラチナ万年筆について「速記性に優れ、プロの書き手に好まれる傾向がある」と述べています。実際、耐水性インクなどの関連商品も充実しており、実務用途にも適した筆記具という印象があります。精神科診療では、現在でも手書きの書類を作成する機会が少なくないため、私自身も日常診療で重宝しています。

さて、本図で描かれているのは、白装束に身を包んだ富士講の人々です。富士講とは、江戸時代に庶民の間で爆発的に流行した富士山信仰の組織で、「六根清浄」と唱えながら富士に登り、心身を清めることを目的としていました。富士を「天地の始まり」「国土の柱」として神聖視し、難病平癒や現世利益を祈願する信仰でもありました。
一方で、富士講は庶民的な相互扶助組織としての側面も持っていました。講の構成員たちは費用を積み立て、毎年順番に代表者を富士山へ送り出していたのです。現在の旅行積立にも似た仕組みであり、「一生に一度は富士山へ」という庶民の夢を支えていました。富士山麓には御師(おし)と呼ばれる人々がおり、信者に宿坊を提供し、登拝や信仰の世話を行っていました。
本図の季節は夏、山開きの頃でしょう。画中では、金剛杖を頼りに険しい岩場を登る者、疲れ果てて座り込む者、岩室の中で身を寄せ合う者など、さまざまな姿態が描き分けられています。左手の空がわずかに赤みを帯び、岩室にも淡い光が差し込んでいることから、御来光を迎える早朝の情景と思われます。
ここで北斎が描こうとしたのは、単なる富士の美しい姿ではありません。峨々たる岩山を前にした人々の苦闘や熱狂、そして信仰の高揚そのものです。風景画であると同時に、江戸庶民の精神文化を描いた風俗画ともいえるでしょう。
白雲の中を登ってゆく群衆の動きには、北斎特有の力強い筆致がみられます。岩肌から湧き上がる霧の描写も巧みで、高山特有の冷気や湿気まで感じさせます。北斎自身にも実際の登山経験があったのではないかと思わせるほど、その表現には強い実感が伴っています。
ところで、富士講は単なる宗教的集団にとどまらず、江戸庶民の倫理観や共同体意識にも大きな影響を与えたと考えられています。
江戸時代の社会は、人口や生産量が急激には増えにくい、いわば「低成長社会」でした。そのような社会では、人々が勤勉に働き、倹約に努めても、生産だけが増えて需要が追いつかず、必ずしも社会全体の豊かさには結びつかないという矛盾が生じえます。
こうした状況への対応としては、本来であれば、労働を減らして余暇を楽しむことや、消費を増やして需要を拡大することも考えられます。しかし当時の社会では、勤勉は美徳とされる一方、過度な贅沢は幕府によって戒められていました。
そのため江戸庶民は、経済的利益そのものではなく、「修行」や「徳」に精神的価値を見出していきました。富士講の登拝もまた、その一つです。登山そのものは直接利益を生む行為ではありませんが、人々は苦しい登拝を、共同体への参加や自己鍛錬、信仰実践として受け入れていたのです。
こうした庶民的な修養観は、のちの石田梅岩による石門心学にも通じていきます。石門心学では、勤勉や倹約は単なる経済合理性ではなく、人格修養や道徳実践として位置づけられました。つまり、日々の勤勉や倹約そのものを修養の実践とみなし、人格陶冶へと結びつける思想です。堺屋太一氏も、このような江戸庶民の精神文化の系譜を、日本人特有の勤勉観の源流の一つとして『日本を創った12人』(PHP研究所、2006年2月)でも興味深く論じています。

本図は、富士という自然そのものだけでなく、それを取り巻く江戸庶民の生活や時代背景、さらには、富士登拝に伴う身体的経験や信仰、、そして石門心学にも通じる修養観や倫理観までも描き出した作品といえるでしょう。
お楽しみいただければ幸いです。
それでは、また!
