• 2025年9月1日
  • 2025年8月29日

17.江都駿河町三井見世略図

 渋谷神泉こころのクリニックです。

 院内に月替わりで展示している浮世絵について、院内にもバックナンバーを含めた解説を置いております。とはいえ、あらかじめ解説を読んだうえで、来院時にじっくりと鑑賞したいとの御意見も頂戴しましたので、展示作品については、当ブログにも解説を掲載しております。

 令和7年9月は、「江都駿河町三井見世略図」です。

 本図は、現在の東京都中央区日本橋室町からの風景です。

 「江都」は、江戸のことで、入江に面して栄える商業都市を想起させる雅称(別名)です。

 「駿河町」の由来は、通りの正面に富士を擁する駿河国(現在の静岡県中部)を望む街並みに由来します。
 「三井見世」とは、この駿河町に店を構えた「三井越後屋呉服店」(越後屋)のことで、現在の三越デパートの前身です。

 なお、現在、「駿河町」の地名は残っていません。本図に描かれた風景は、現在では日本橋室町二丁目交差点から「江戸桜通り」を西方に眺めたものに相当し、次の写真のようになるかと思います。ちなみに、向かって左側の建物が「日本橋三越本店」、右側の建物が「三井本館」です。


 さて、越後屋は、当時、世界初となる店頭・定価での現金取引を導入しました。それ以前は、「見世物商い」、「屋敷売り」などの訪問販売、「掛売り」による価格交渉を交えた後払いが取引方法の主流でした。しかし、この越後屋の「現金掛け値なし」の画期的商法により、庶民も安心して店頭での買い物ができるようになりました。

 越後屋は、これによって、一日千両(現在の1億7000万円に相当)を稼ぐと言われるほどに繁盛しました。駿河町を画題とした浮世絵作品には必ず登場するほどの存在になり、歌川広重もその様子を何度も描いています。

 これらの作品に対して、北斎による本図の特徴の一つは、越後屋の屋根の向きが富士に対して直角に回転されていることです。これによって、切妻屋根の妻壁と富士の稜線とによる二つの白い三角形が出現し、形状と色彩の呼応によるリズムが生まれています。

 空間の広がりの演出も見事で、越後屋の建物は一階部分はあえて描かないことで、見上げるような高さが強調されています。また、その屋根の上で作業する瓦職人、沖天に舞う凧なども、そこからの視点を想像すると、高所による爽快感や恐怖感を覚えます。

 富士の裾には瑞雲がかかり、その下に江戸城の屋根と石垣が描かれています。この瑞雲によって、遠近感がぼかされ、実際以上に大きく描かれた富士も、違和感なく風景に溶け込んでいます。

 凧に描かれた「寿」の字は、越後屋による正月の売出広告でしょうが、一方で、西村永寿堂の「寿」でもあり、版元の広告でもあると思われます。

 安定した構図の中に動的な要素と遊び心を交えた表現を加えることで、鑑賞者に風景への親近感を与えている本図は、北斎の魅力が存分に発揮された作品であると言えるでしょう。

 お楽しみいただければ幸いです。

 それでは、また!

渋谷神泉こころのクリニック
精神科・心療内科
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