• 2024年9月4日
  • 2024年9月6日

2.東海道江尻田子の浦略図

 渋谷神泉こころのクリニックです。

 院内に月替わりで展示している浮世絵について、解説は院内の掲示板の棚に置いておりますが、ブログでの記載の方が鑑賞に集中できるとの御意見をいただきました。そのため、これまでに展示した作品から順に、当ブログでも解説させていただくことにいたしました。

 今回は「東海道江尻田子の浦略図」、令和6年5月に展示した作品です。

 本作は、東海道五十三次の 14 番目の宿場である(現在の静岡県富士市に位置する)吉原宿の沖合からの風景といわれています。静岡県富士市から静岡市清水区までの駿河湾西沿岸一帯は、田子の浦と呼ばれており、古くからもっとも富士が見えるところとして有名でした。

 『万葉集』でも山部赤人が、「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」という有名な和歌を詠んでいます。これは、江戸時代でも有名だったようで、当時の人々はこの歌で富士を思い浮かべていたのでしょう。

 また、『拾遺和歌集』では大中臣能宣(おおなかとみ の よしのぶ)が、「田子の浦に かすみのふかく 見ゆるかな もしほの煙 立やそふらん」(田子の浦で塩を作る際に立ち昇る煙が霞のようだ)と、田子の浦の塩田風景を詠んでいます。

 本作は、この大中臣能宣の和歌を当世風に絵画化したものと思われ、この趣向は揃中でも異色といえるかもしれません。

 絵画としては、近景、中景、遠景から成る典型的な三段構図です。近景では二艘の船が、大きく大胆に捉えられています。中景では浜辺で製塩に勤しむ人々が、線一本で見事に描かれています。人々や作業の特徴を抽出し、細い線一本で描ききる北斎の描写は勿論ですが、それを彫り上げる彫師の腕もまた見事です。そして、遠景では、霞と愛鷹山の奥に雪を頂く富士が雄大な山容をみせており、残雪は鹿の子模様(※)で表現されています。

(※)鹿の子模様;鹿は年に2回毛変わりします。春から夏、鹿の体毛は夏毛であり、薄茶色の毛色に「鹿の子(かのこ)」模様という白い斑点が出ます。この模様は、子鹿だけでなく、大人の鹿にも毎年出ます。鹿の子模様は、人間の指紋のように一頭一頭異なり、模様は一生変わらないといわれています。

 富士の稜線と同じ大きさの弧で描かれた最前部の船の孤線は、荘厳な富士と奮闘する漁師たちによる静と動の対比と相まって、画面にリズムを与えています。北斎らしい雄大でかっちりとした構図です。その他、藍の線で表わされたうねる波も見逃せません。

 本作はそれほど有名ではないかもしれませんが、対象を円と線にまで還元し、幾何学的に再構成する手法、生涯をつうじて追及したテーマの一つである波の表現など、北斎の神髄が遺憾なく発揮された名作だと思います。

 お楽しみいただければ幸いです。

 それでは、また!

渋谷神泉こころのクリニック
精神科・心療内科
03-6427-0555 ホームページ