• 2024年9月7日

5.東都浅艸本願寺

渋谷神泉こころのクリニックです。

 院内に月替わりで展示している浮世絵について、実は院内の掲示板の棚に解説を置いております。とはいえ、あらかじめ解説を読んだうえで、来院時にじっくりと鑑賞したいとの御意見も頂戴しております。そのため、展示作品については、当ブログにも解説を掲載することにいたしました。

 令和6年9月は、「東都浅艸本願寺」です。

 本作に描かれた西浅草の「浅草本願寺」は、徳川家康の治世に建立され、その後に京都の東本願寺の別院とされた浄土真宗の寺院です。当初は神田にあって光瑞寺と言われていました。明暦3年(1657年)の明暦の大火で焼失したため、その後に浅草本願寺として移転されました。
 ちなみに、京都の(東本願寺ではなく)西本願寺の別院は東京築地本願寺で、これも明暦の大火後に日本橋から築地に移転されたものです。

 本作の特徴は、本堂を大胆に右に寄せた構図です。近景にある本堂の大屋根では、瓦職人が働いており、その対比から屋根の大きさが強調されています。中景では、雲下に広がる浅草の街並みから凧が揚げられ、その左側には井戸採掘用と思われる櫓も高く組まれています。しかし、これらでさえも大屋根の高さには及びません。そして、遠景では、大屋根に対して揺るぎない位置に、富士の偉容が泰然と描かれています。
 大屋根、凧、櫓、そして富士。これらをほぼ同じ高さに描いているところに、北斎の卓越した構図感覚の一端がうかがえます。藍摺りを基調に、凧の朱色をアクセントに画面を引き締める色彩感覚もさすがですね。

 大屋根の破風と富士の稜線は、厳密な相似形ではないものの、呼応する形になっており、画面にリズムと安定を与えています。本作の主題は、巨大な建造物と富士との対比であり、中景は雲によってほとんど省略されています。この大胆な近像拡大型の構図は、広重にも継承され、その後、欧米の画家や写真家にも影響を与えたと言われています。

 なお、浅草という場所を描くにあたって、有名な浅草寺ではなく東本願寺を選んだのは、河村岷雪の『百富士』巻一にある「玉嶌山」という作品から影響を受けたためではないかと言われています。たしかに、三角形の配置と角度の対比も「玉嶌山」に類似していますね。

 お楽しみいただければ幸いです。

 それでは、また!

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