- 2024年11月1日
7.深川万年橋下
渋谷神泉こころのクリニックです。
院内に月替わりで展示している浮世絵について、院内にもバックナンバーを含めた解説を置いております。とはいえ、あらかじめ解説を読んだうえで、来院時にじっくりと鑑賞したいとの御意見も頂戴しましたので、展示作品については、当ブログにも解説を掲載しております。
令和6年11月は、「深川万年橋下」です。
埋立地である深川は、埋立工事の難航によって富岡八幡宮(横浜市金沢区)の祭神を分霊したとされる深川八幡とともに発展しました。この深川周辺(江戸川区)は下総に隣接する地域でした。下総の行徳(千葉県市川市)は塩の大産地であり、肥沃な農地でもありました。そのため、徳川家康は江戸に入城するとすぐに、下総から塩、米、野菜などを江戸へ運べるように、隅田川から下総をつなぐ運河を造りました。この一つが小名木川で、その語源は開削を命じられた小名木四郎兵衛にあるとも、ウナギの名産地であったことによる「ウナギ川」にあるとも言われています。
さて、本図で描かれた万年橋は、この小名木川に、隅田川と合流する手前(隅田川の東岸)に架けられたものです。当時は現在のような高層建築がなかったこともあり、ここからは富士がよく見えました(現在の様子は以下。写真は江東区のホームページから引用。)。
本図では「尾州不二見原」で描かれた大桶による円形ではなく、橋のアーチによる美しいカーブが印象的です。また、画面下3分の1に地平線を置き、その地平線上に2つの消失点を置く「三ツ割法」という北斎独自の画面構成も見所です。
北斎は「北斎漫画」の中でこの「三ツ割法」について、規矩(;コンパスと定規)により画面を縦横ともに3等分し、次に「二ツを天とすべし、一ツを地とすべし」と説明しています。本図でも橋梁全体のアーチが、画面の縦の長さを半径とした円弧として、横幅の二分の一を頂点に、縦幅の中三分の一に収まるように配置されています。また、2本の橋脚は、縦の三等分線に合わせて配置されています。
北斎の遠近法と構成美がいかんなく発揮された作品で、思い切って橋を中央に大きく描いた構図は人の目を驚かせます。それでいて、この構図が少しも奇異でなく、落ち着いた一幅の絵となっているのは、隅田川の対岸からはるか遠くに見える富士の偉容が、小さいながらもこの絵の主点となって全体を引きしめているからでしょう。
お楽しみいただければ幸いです。
それでは、また!